翌朝5時起床。「朝食無しのプラン」をお願いしていたので、支払いは前夜に済ませ6時前には宿を出発。 目的地、「相馬市」は、東北道「福島西IC」で降りてから約70キロ弱あるので下道で約2時間、海側まで出るには遠いです。 途中には屋根瓦が崩れている家が多いことに驚きました。 我が家(千葉県)も例外ではありません。屋根瓦が崩れ、カーポートを突き破った瓦が車のボンネットを直撃。 納車から1週間経ってない父親の新車でした。屋根、カーポート、車の修理は必要でしたが、それでも不幸中の幸いです。 あの日、3月11日の「東日本大震災」では、数えきれないほどの悲しみや苦しみ、痛みがあったことか。私達はあの日起きたことを忘れることが出来ません。 初めて経験した怖いほどの激しい揺れ。テレビから流れる信じられないような数々の映像。いつまでも続く余震、先の見えない不安。 そして今も尚、それらを解消できないでいる方々がどれだけいることか・・・。 「ボランティアしに行こうよ」。「私達に出来ることを何かしたい」。友人の言葉に驚きました。 震災に対して「募金」や「寄付」くらい思いつかなかったから。 ボランティアに行く人って、もう少し自分とは考え方とかが違う人だと思っていたのに、目の前に2人もいるなんて。 決めた当初は行きたくなかった。「自分が行って何の役にたつの?」「季節は7月だし、もし現地で具合でも悪くなったら余計に迷惑かけちゃうし・・・。」 と思ってた。でも、行ってみたら違っていた。 9時前に現地(相馬市)に到着することが出来ました。集合場所は相馬市総合福祉センター「はまなす館」。 当時、相馬市に押し寄せた津波は海岸から約1キロ。福祉センターは、街のほぼ中心にあり海から約2キロ離れていますので津波の被害は ありませんでしたが地面は波打ち、まだ補修がされていませんでした。 ここから約1キロ海岸方面に進むと、まだ移動できないでいる大きな船が道路に置き去りになっていると聞きました。 9時から説明と簡単な面談。説明の中で、「被災地に配慮して写真撮影は遠慮して頂きたい」と説明がありました。 面談とは、ボランティアに参加する為の簡単な書類へのサイン後、地域から依頼のあったお仕事が振り分けられます。 当日参加は、男性は10代から70代位までの方。女性は私達3人。全部で約20数名だと思われます。 作業内容は。泥のかき出し、写真洗浄、草花の植栽、片付けなどで、殆どの男性が「泥のかき出し」を申し出ていました。 中には腕っ節の太い自衛隊の方もいましたし、参加している方みんなが同じ気持ちでいるそこの雰囲気は、士気が高く頼もしい感じ。 しかし私たちの場合は、スタッフから「女性はきめ細かい作業をしてくれると助かります。「写真洗浄」はどうですか?」 あれ〜!!泥のかき出しをやる気満々で準備してきた、捨ててもいいようなボロ服に、軍手や長靴はもしかして要らないかな? 「私達でやれる事であれば、なんでも構いませんが。!!」と言ったら、「では写真洗浄をお願いします。」 「はい〜・・・?。」ちょっとホットしたような拍子抜けのような気分。 スタッフに紹介されたのはTさん。「Tさんは時間があれば参加して下さっているのでリーダーさんをお願いしています。」 50代後半〜60代前半の男性。Tさんにくっついて作業場所に移動。場所は現在は廃校になっている校舎でした。 トイレも水もあるのでなんだかひと安心。作業内容をひと通り説明して頂きました。 思ったのは、私達のように初めて来て何も分からない人だらけだと、現場に移動するのも、作業の内容を説明するだけでも手間。 Tさんのように全ての工程がわかっている方がいる事は有難いはず。彼は、ここのボランティアにとって、とても大きな存在です。 Tさんの自宅は原発の近くなので住む事が出来ず、震災後約1か月は、福島市で避難生活をしていたけど、仕事場がこの近くなので、 今は相馬市にアパートを借り暮らしている。時間がある時には、ボランティアに参加していると話してくれました。 作業は誰にでも出来る至って簡単な事でした。考えてみれば、その日限りのボランティアですから大事な仕事は任せられませんよね!! 作業場所は教室です。写真回収班が外から引き揚げてきた写真や物。物とは、位牌やランドセル、卒業アルバム。 海水に浸かってしまったアルバムからカッターなどで写真を引きはがし、真水で汚れた部分や砂を、手洗いで2度洗いします。 それを洗濯はさみで干す。もちろん他の写真と混ざらないように番号分けします。写真からは磯のにおいとカビのにおいがしました。 別の教室で、以前に同じ作業をしてあった乾いている写真を集めて、それを持ってまた別の教室に移動します。 そこには、Fフイルムさんから寄付された大量の新しいアルバムがありました。 表紙には、一番持ち主だとはっき分かるり顔の写真を付けて作成日時をサインし、他の写真を前から詰めて完成。 最後は、校舎の廊下に机を並べ、日付順にアルバムを置いていく。 アルバムの表紙に日付が記入されているので、探しに来た人が6月分まで見に来たなら、次は7月分から探せるようになっている。 実際に作業が始まる前は、写真を復元させる為の専用の薬品なんかを扱うのかな?と不安もありましたが、よく考えてみれば 素人集団ですから、真水洗いの簡単なお仕事で当然ですね・・・。 写真を探しに来る方は午前中は少なかったですが、午後には思ったよりも多くの方が訪れていました。 教室で作業する私達の元に声を掛けに来てくれた方が2名。1人目は初老の女性。「おばあちゃんの写真が見つかりました」と。 2人目は、20代男性。「おばちゃんの位牌が見つかりました。しかしまだ手付かずの土地があり、そこには沢山の物が埋もれているはず。 早く掘り起こしてあげないと劣化が進んで持ち主に返すのが難しくなると思う。」と話してくれました。 2人とも丁寧にお礼を言って帰っていきましたが、もしかすると彼らは家が流された方なのかな? 避難所生活をしているのかな?と思うと心が苦しくなりました。 ボランティア作業は16時に終了。学校を出る頃に、日中に集めて来たであろう写真等を「写真回収班」が沢山運んできました。 「お疲れ様で〜す。」どちらともなく言葉を交わし、彼らから、「皆さん有難う御座います。また是非来て下さいね。 まだまだ沢山やる事はあります。」「また写真を一杯集めて来ますからまた来て下さいね〜!!」 「はい。また来たら、がんばりま〜す。お疲れ様でした。有難う御座いました。」 元気と笑顔いっぱいで、本当に気持ちのいい方達、気持ちのいい言葉!! やっぱりここでは、「みんなの心は一つ。」そして「結束」という言葉が頭に浮かびました。 おそらく、彼らは地元の方で、炎天下の中、誰とも分からない写真を掘り起し、キツイ仕事だと思います。現場はきっと悲惨かもしれない。 だから地元の方が「写真回収班」をしているのかな?と思うと涙が出そうでした。 その日限りのボランティアは、こんなに簡単な仕事だし、本当に小さな力だし、私がやらなくても誰でも出来る。 だけど私がやらなかったらこの作業は後日になり、そうやって日々作業が遅れると写真んはもっと風化してしまう。 だから、もっともっとたくさんの人の手が必要だと思いました。 作業終了後、福祉センターに戻り、Tさんにお礼とお別れの挨拶をしに行くと、Tさんは「再び校舎に戻り、戸閉まりをしてから帰る。」との事でした。 本来は作業終了の16時に校舎の戸閉まりして終るのだそうですが、「時間を過ぎても写真を探している方がいらっしゃる時は、閉める事は出来ないから、 その方達が帰ってから戸締りをして帰ります。」と言ってました。 こんなに優しい気持ちの方達が沢山いるから暖かくて嬉しいです。また涙が出そうになりました。 ボランティア活動に参加して良かった。人の事を思い、行動出来る仲間がいて良かった。素敵な方達に出会えてよかった。 どんな形であれ、みんなが被災地を応援しています。一日も早くみんなが笑顔で過ごせる日が来る事を願って止みません。 |